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湧き上がる敗北感

商店街・市場「応援隊隊員」であるにも係わらず、他の仕事の勤務時間帯の都合上、週に3回程度仕方なくコンビニエンスストアを利用している。さすがに朝の6時半だと梅田駅界隈に開いている店がないから。

 

梅田駅で下車、仕事先まで徒歩10分弱の間に乱立するコンビニエンスストア。
それでも時折、新店オープンのチラシがポスティングされる。

 

今利用している店は、ほぼ1か所。目当ての商品が品切れていない確率が高いことと、店員の応対に好感を抱くのがその理由。

 

お仕事帰りのオネイさま、呑みつぶれかけの若者、ピシっとしたスーツを身にまとったソレ風のお兄さんにエスコートされたオジサマがATMに引っ張られていく姿もたまに見かける。
そんなグルーブ感の中で着々と売上が積み重ねられていく店内。どれだけの利益が上がっているのか見当もつかない。


店内には大抵のものは置いてある。各種料金の払い込みも出来れば宅配の荷物も窓口になっている。
肝心の食料品にしたって、コンビニならではの限定商品や弁当・総菜もあって迷うほどの品ぞろえがあり、コーヒーもブラックなら缶コーヒーよりも全然美味い(個人的な主観です)し、この店の中の商品で一回分の食事を購入して食べたなら、「それなり」の美味しさと満足を得る。実際自分もそう思う。

 

しかし…、充分な便利さと「それなり」の美味しさに囲まれた生活は幸せなんだろうか?
この便利さと美味しさが既定になった生活は本当に楽しいんだろうか?

 

答えは分からない。

 

ただ、コンビニエンスストアで買い物を済ませて店から出るとき、毎回ほんのりとした敗北感がボヮ~っと湧き上がってくる。


生き物としての反射的生体反応か?


この敗北感の次に湧き上がってくるのは、どのような感情だろう?