先月(2024年4月某日)、ランニング知り合いでミュージシャンで唄の先生である「Emy」さん主催の「みんなのライブ」に参加した。
持ち運びが楽ちんなフジゲンのテレキャスターにブラックスターのミニアンプを直結しただけのシンプルプルな仕様での弾き語り。
で、やった曲は、西岡恭蔵の「アフリカの月」。
もちろん誰も聴いていない。
なので、その場の写真もない。
でも、それが良いのである。
ただ、この曲をもっと自分なりに「咀嚼」したく、後日YouTubeを開けて「アフリカの月」というキーワードで検索をかけた。
他の方の「消化吸収っぷり」を知りたくなったからだ。
ウロウロしているうちに、サバンナの夕陽の写真かイラストが貼り付けられただけの見た目で、とてもブルースなアンサンブルで奏でられた「アフリカの月」を見つけた。
こりゃいいわ、後でじっくり…
見つめるパソコンの画面右横には「あなたへのおすすめ」がズラリと表示される。
この「アフリカの月」の演者が奏でる別の曲らしきものか?
小さいサムネイルながら、白黒で階段に座ってこちらを向いている女性の画像が気になってクリックした。
曲のタイトルは「夜が明けたら」。
何?この世界観?
ええやんコレ、この人。
そして、早番の仕事を終えたある日に茶屋町のタワレコへ寄り道して、その人のCDが陳列されているところへ行った。
ファーストアルバムの1発目が「夜が明けたら」やった。他ではシングル盤を寄せ集めたアルバムに「アフリカの月」のタイトルを見つけたので、この2枚と、マイヒーロー細野晴臣師匠のアメリカツアーライブ盤も目に留まったので合わせて3作品を購入した。
帰宅してジャケットのセロハンをチマチマと苦戦しながら剥がして、CDをプレーヤーにセット、ヤマハのモニタースピーカーで爆音気味に鳴らしてみた。
ええやないか。
ひとまず、途中をすっ飛ばして「アフリカの月」を聴いてみる。
?…
再生するトコ間違えたか?
いや、あってるで。
全然違う曲やん…
改めてクレジットをよくよく見ると、かかっている曲は「アメリカの夜」と書いてある。
どんだけ勘違いしてるねん…
しかも「リカの」しか合ってないやん…
オレの聴きたかった「アフリカの月」は何処へ行った?
スマホを手に取ってYouTubeのアプリを開いた。
履歴を辿って例の「アフリカの月」を再び再生してみる。
演者の名前は「カルメン・マキ」となっている。
私が購入したCDは「浅川マキ」の作品だった。
ここも大きく間違っている。
「マキ」しか合ってないやん…
思い込みという反応には、本当に気をつけなければならない。
管理人としての仕事においてこれは、「見えてるものが見えないものになってしまう」致命的なミスに繋がりかねない事象を引き起こすからである。YouTubeのおすすめに気を許してしまった。
気をつけているにも関わらず、このようなことをしでかしてしまうのだから始末が悪い。
まあ、ええわ。細野師匠のライブ盤を聴きながら、この度の「しでかし」を振り返る。
管理人は、トラブルが起こる可能性を下げることは出来るかもしれないけど、トラブルを防ぎ切ることは出来ない。トラブルは、世の中にある完全に埋め切ることの出来ない「隙間」からの「漏れ」が引き金になって起こるものである。
今回も、おっさんの思い込みや老化といった「ヒトの五感の漏れ」が引き金になって起こった。
管理人の管理人たる行動はただひとつ。
トラブルと対峙することである。
実際はトラブルでも何でもないのだけれど、暮らしにおいて突然やって来た「浅川マキ」の音楽と利他的に「どっぷりと」対峙することになった。
思い込みも利他のうち?
それが招いた事象が、トラブルだけではないことを願いつつ。