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漏れるように書くことに挑む

2024~2025年のマラソンシーズンは、先週日曜に走った姫路城マラソン2025をもって一段落ついた。

不整脈や目まい、年が明けてからば喘息などが加わった、おやぢならではの体調不良に悩まされながらも、何とか無事に走り切ることが出来たのは良かった。低下する体力や記録と対峙しつつ、それでも折り合いを見つけて、そこに立ってみた周りの風景を見る、そして湧き上がる想いに耳を傾け、次の一歩を踏み出す。それは「暮学」の姿勢に他ならない。で、この度踏み出すことにした「次の一歩」というのは、このままレースに出ることを続けてみようかと気持ちが湧き上がったので、それに従って動いてみようというものである。遅いながらも、寒さに震えながらも、走っている時のリズムが自分の呼吸と一体化したときの心地よさは、普段の暮らしにおいて必須のものとして据えておきたいと思ったからである。

 

しかし、走るのが遅くなってしまうと練習に持っていかれる時間がどうしても増えてしまう。10キロを走ると、以前なら1時間もかからなかったけど、今はそれがしんどい。10キロなら10分~15分の差で済むのだけど、15キロ20キロとなるとそうはいかない。1日の暮らしにおいて、持っていかれる時間が増えてしまうと、他のことに関わる時間が減ってしまう。それが積み重なると、今まで出来ていたことが出来なくなる。それを「時間が足りない」という理由でそうなってしまう状況が起こってしまうのだ。人生の終盤において、この状況は結構ツライ。

 

それでも、全体のバランスをとって暮らしを営んでいくには、増やすモノがあるなら、減らすモノを探す、あるいはキャパ全体を拡げる知恵と工夫をめぐらさなければならない。走ることで体力が増えるなら、それはキャパが拡がる要因につながるので、それは良しとしておく。減らすモノは何かと考えると、やはり携わる時間なのだろう。例えば、文章を書く作業に携わる時間を減らすためには、どのようなことに取り組めばよいのだろう?と考えてみた。

 

で、まずやってみようと考えたのは、文章を書く作業において、それ以外の作業を止めてみるということ。

例えば、ブログなどを書くときに当てはめてみると、「写真」の挿入を止めることなど。

特に更新が滞りがちなココなど、本当は日記のように書き残しておきたい場所であるにもかかわらず、滞ってしまうのは、写真の選定や撮影に時間がかかってしまうのも理由のひとつにある。このサイトは、ジンドゥーの有料サービスを使っているのだけど、サーバ容量が無限にある設定のせいか、アプリで画像をアゲるとオリジナルサイズで上がってしまうので、ご覧いただく方々になかなかの負担を強いてしまう設定になっている。なので、画像は選んだあと一旦リサイズしなかればならない。かなり不便な仕様になっている。

 

でも、よくよく考えてみよう。

ブログに写真は必須なのか?という問いを立ててみよう。

あった方が良いかも知れない。けど、無くても構わないではないか。

元々誰も読んでいないこの場所で、何をいきって読みやすさを追求しなければならないのか。

自分にとっては、むしろ書きたいとき書くべきときに書き残す作業を積み重ねることこそ重要ではないか。

写真をつかってイメージを起こすより、書き残した文章で表現する、しようとする姿勢が自身にとって必要なものではないか。

普段の暮らしで湧き上がる気持ち、漏れる思いを「その時」に書き残しておくことこそ、重要ではないか。

 

なんていうことが湧き上がってきたので、とりあえず書き残すことにして、今後はこの姿勢を大事にしてみようかと思う。

 

写真は写真で撮り続けていきたいので、一緒に載せるか、別の場所で残しておくことも並行して考えながら、とにかく「漏れたモノは書いておく」という姿勢で、このブログと対峙していこうと決めた。