今年の夏にテレビを買い替えた。
値段はそれほどだけど、最新仕様のテレビには、ジジイが初めて目にする色々な機能がこれでもか!と付いている。
全てを使いこなすのは、費用もかかるし、そもそもテレビを観る時間が極めて少ないので、これらの機能のほとんどはジジイにとって「あってもなくても困らない」ものだった。
それでも、なにか使ってみようと思い、NHKの配信サービス「NHK プラス」の登録手続きをしてみた。番組の見逃しを1週間の間フォローしてくれる配信サービスらしい。
テレビの設定を終えて、リモコンについてある当該のボタンを押してみる。
色んなジャンルにカテゴリが分けられて番組が紹介されているけど、とにかく数が多い。
下へスクロールしてみると、「夜と霧」の著者、ヴィクトール・フランクルにスポットを当てた番組に目が止まった。1時間の尺で6回もある。
妻が仕事で1人だった一昨日の祝日に2回目まで観て、猛烈にバテた。
今日は仕事が昼からなので、出発前に1つでも観ておこうかとテレビのスイッチを入れてみたものの、画面を見ただけでバテた。
今日は水曜日。メリパナイトラン明けの水曜日はパワーチャージが全く追いついていないからだろう。配信期限は22日未明まで。週末までに、あと4時間捻り出す必要がある。ジジイにとっては、見逃し配信サービスではなく、単なる番組検索サービスになっている。
この4、5年の間で読書量が増えてから、スポーツ中継や特定のドラマや映画を除くと、たまに観るテレビのチャンネルはNHKのみになっている。番組の内容が時折、自分の読んでいる本と重なったり行き交ったりするからだ。
NHKのことを悪く言う人が、相当数いらっしゃる。
ジジイも昔、1人で子育てしていた頃は、経済的に苦しく、受信料の支払いすら辛い時期が長くあったため、対して観ることもないのに何故払わなければいけないのか?と、否定的な感覚を持っていた。
しかし、子育てがひと段落ついて少しだけ時間・経済的な余裕が出てきて感じたのは、このフランクルの番組みたいな「やるやんNHK」な仕事が結構あるやんか…このことだった。
ただ、ニュース番組がダメなのはいけない。
番組構成、報道内容、言葉の選び方、いろんな点がダメで、良い点が浮かばない。
例えば、世論と輿論という言葉の恣意的な使い方とか。
世論〜せろん、せいろん。Popular Sentiments 大衆的な感情
輿論〜よろん。Public Opinion 公共、公衆の意見・評価
元々使い分けられていたにも関わらず、当用漢字に「輿」という漢字が選ばれなかったという理由(マジでそれだけか?)で、この2つの言葉を「世論」として一体化した。そしてこれを「よろん」「せろん」どちらの読み方でも構いませんよ…となったそうな。
で、その意味も、それぞれの意味を厳密に分けることが困難だから一つにまとめて「世間一般の人の考え」としましょう…みたいになった。
んなアホな。
意見はあるけど置いといて…
ほんで、NHKのニュースでは、この言葉をこう使う。
NHKは、社会で起こった出来事に関して、無作為に抽出した僅か2000人程度に「電話」(最近は携帯も含む)で、あらかじめ選択肢を用意した設問に答えてもらう式の調査をすることがある。そして、それを「世論(よろん)調査」と称して報道する。
設問に対する答えが、マークシートに記されている数個の選択肢からしか選べない調査結果を「よろん」と表現することは間違いだ。少なくとも、選択肢の選ばれたバランスをどう考えるのか? そこからが「よろん」を醸造する始まりではないか?
感情と意見を一緒くたにするのは危険きわまりない。
なぜ、危険きわまりないことを危機感を醸し出すことなく報道が出来るのだろう?
謎しか浮かばない。どうすればよいのだろう?
答えが浮かばないときにすることは、多くない。
疑問が解決するのか分からないけど、すぐに解決しないなら、疑問と対峙し続けることが肝心だ。
故に、受信料を払って現在の品質を保つことに協力しながら、こっちはこっちで普段の暮らしに努め、飯を食べながら考え続けるのである。
フランクルの番組の続きを、どうやったら観れるのだろう?という課題を解決させながら考え続けるのである。