悩むところが色々増えてしまい、更新が途絶えて1年以上経ちました。
どうやら立ち直ったかもしれないので、再び発信していくことを決意しました。
コロナ禍に始まり、ウクライナ侵攻に心を揺さぶられて、安倍さん狙撃事件が起こったことで、自身における「当たり前な倫理観」が「ちゃぶ台返し」されたのをずっと考えていました。
起こった出来事もエライこっちゃなんですけど、それより何より、起こった事象に対して一番責任を持って対応しなければならないであろう立場の人々の言動が途方もなく「劣化」していると感じたからです。
いや、これほど大きな出来事であれば、対応するのは責任者だけじゃなく組織です。その「劣化」の様が想像をはるか超えるヘンテコっぷりに、驚きを超えて恐怖を感じてしまいました。
「管理」の視点からこれらを捉えると、私たちの身近な暮らしでは感じることの出来ない何らかの要素が、時間をかけて重層に重なり絡みあって噴出した事象なのではないか?と仮説を立てて真剣に考えてしまいます。
あ、陰謀論とちゃいますから誤解なきよう。
とにかく分からないことが多すぎる。
分からないまま、自分たちの暮らしをどう管理していけばよいのか?
答えは一つ。
問題の原因を見つけて折り合う前に、自分たちの暮らしを「保全」することです。
最優先課題は自分たちの暮らしを「保全」することです。
自分だけの暮らしではなく、自分たちの、というのが肝です。
世界平和とか日本の平和とか大きな話ではなく、自分たちの身の周りの自分たち、という視点を持つことです。
大きな問題と対峙するには、時間と手間がかかるもの(小さな問題でも変わりませんけど)。
なので、自分たちの暮らしに最も必要なもの、つまり「食うこと」「寝ること」「遊ぶ時間」「学ぶ時間」を確保することです。
それ無くしては、相手に対峙することすら出来ません。
で、改めて自分の暮らしにおける「食うこと」「寝ること」「暮らすこと」を見渡してみるとですね。
これが、「維持」「保全」しようとすると昔と比べて色々と難しくなっているんですね。
「世界」や「政治」が身近な暮らしに、どのように、どれくらい関わっているのか?
私たちの暮らしを「保全」するために、それらとどう折り合っていけばよいのか?
今一度、二度でも三度でも何度でも見渡しまくってみる必要があるのではないでしょうか?
誰も聞いてないのですけどワタクシ、サイトの更新を休んでいる間に再婚しましてね。
そして先月に初孫が元気に産まれたんですよ。
妻の笑顔、抱いてみた孫の寝顔を覗きこんでみたらですね。
自分の死ってのが、突然身近にやってきた気がしたんですよ。
なので、死なん程度に頑張ってみるわけです。